2011年1月31日月曜日

うそ

猫はこたつで丸くならない。
のびるだけ。


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2011年1月30日日曜日

灰かぶり猫

ぼくが小学生の頃、家の風呂は五右衛門風呂だった。

鉄の風呂釜で下からまきを燃やして温める風呂である。

その頃ぼくが風呂を炊く係りだった。

その日もいつものように、細く割った木を組んで、

その下に新聞紙をくしゃくしゃと丸めてマッチで火をつけた。

新聞紙に火がついてメラメラと木にも火がついて燃え始めた時に、

突然、かまどの中から一匹の猫が飛び出してきた。

猫の毛にも火がついて燃えていた。

ぼくは突然猫が飛び出してきたので、ギョッとしたが、

多分もっとギョッとしたのは猫のほうだったろう。

冬の日で、野良猫がかまどの灰の奥の方で、

気持ち良く寝ていたにちがいない。

そこに突然ぼうぼうと火が燃え出したわけだからあわてないわけがない。

その火のついた野良猫はススだらけになり、

大やけどをして、もう死んでしまうかなとかわいそうに思った。

ところがどっこい野生は強かった、だんだんにやけども治り、

その上うちに上がり込んでとうとう家の猫になってしまったのである。

名前はもう忘れてしまったが、茶色のしま猫で運がいいだけでなく、

気だてのいいやさしい雄猫だったよ。


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さみしくて

さみしくて
猫の肉球にぎりしめる

2011年1月29日土曜日

こたつLOVE

猫とこたつはセットのようなものだ。

こたつあるところに猫がいて、猫がいるところにこたつがある。

こたつの中に寝そべって、満足そうに手などなめているのを見るとつくづくこたつの中の猫の幸せを感じてしまう。

だいたいこたつと猫には共通点が多い。

どちらも四本足である。

どちらも触ればあったかい。

しかし、耳やヒゲや爪のあるこたつは見たことないので共通点といっても上の二つしかない。

でも上の二つは立派なしかも、重要な共通点であることは万人が認めるところであろう。

猫はこたつが大好きだ。

姿を見ないなあと思ってたらたいていこたつの中にいる。

こたつの中でゴロゴロ喉を鳴らしている。

ところで、ぼくも猫に負けないくらいこたつが好きである。

猫よりも好きかもしれない。

iPhoneつつくのもこたつ。

本を読むのもこたつ。

コーヒー飲むのもこたつ。

冬になったら寝るのもこたつ。

こたつLOVEだ。

猫とこたつ勝負(どんな勝負だ→ぼく)をしたら絶対勝つ自信がある。

猫はだいたいそんなバカな勝負はしないので不戦勝なので、

本当に勝ったと言えるのかどうかは疑問の残るところではあるが

この際そんなことはどうでもいい。

「猫とこたつとぼく」は冬の風物詩にすでになっている。

かもしれない。


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奇跡

目が覚める奇跡

息ができる奇跡

聞こえる奇跡

見える奇跡

話せる奇跡

感じる奇跡

思う奇跡

味わう奇跡

動ける奇跡

眠れる奇跡


ぼくたちは奇跡の中で生きている



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2011年1月28日金曜日

行為の大小

人間とは不思議なもので,勝手に行為に大小をつける。

大きなことをした、とか,小さなことしかできなかった,などと決めつける。

もっと不思議なことがある。人間は、自分がしなかった行為を悔いる。

しなかった行為なのに,あれは大きなことだったと本気で思う。

あれをしていれば、今が大きく変わっていたと本気で思い、悔やんだりする。

また、自分のした行為、自分のしなかった行為の大小を、自分が決定できると思い込んでいる。

その大小が真実だとさえ思っている。

自分のした小さな行為が、実はある他人にとっては大きなことかもしれない。

その反対かもしれない。

いずれにしても、過去の行為を価値づけることは無意味なことなのだ。

ニーチェ


このニーチェの言葉には多いに考えさせられた。

自分のしたことに必ず価値付けしている自分がいる。

それは無意味なことだとニーチェは言い切る。

この考え方や見方は、ぼくを勇気付ける。

ただ淡々と生きていけばいい。

自分の思うように生きていけばいい。

人の目を気にしなくてもいいよと

肩を押してくれたような気がする。

人の目の中て最大のものは自分の目なのだから。




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愛してる

ぼくは猫の柔らかさを愛してる


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