2011年2月26日土曜日

とつぜん、般若心経

かんじざいぼさつ ぎょうじん はんにゃ  はらみったじ   しょうけん  ごうんかいくう
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 
どいっさいくやく  しゃりし   しきふいくう   くうふいしき   しきそくぜくう
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 
くうそくぜしき   じゅそう ぎょうしき  やくぶにょぜ   しゃりし   ぜしょほう  くうそう
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 
ふしょうふめつ    ふくふじょう    ふぞうふげん  ぜこくうちゅう
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 
むしき   むじゅそうぎょうしき   むげんにびぜっしんい  むしきしょうこう  みそくほう
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 
むげんかい  ないしむいしきかい   むむみょうやく  むむみょうじん
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 
ないしむろうし  やくむろうしじん   むくしゅうめつどう   むちやくむとく
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 
いむしょとくこ  ぼだいさつた   えはんにゃはらみったこ
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 
しんむけいげ   むけいげこ    むうくふ    おんりいっさい てん  どうむそう
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 
くうぎょうねはん   さんぜしょぶつ  えはんにゃはらみったこ
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 
とくあのくたら  さんみゃくさんぼだい   こちはんにゃはらみった
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 
ぜだいじんしゅ   ぜだいみょうしゅ   ぜむじょうしゅ  ぜむとうどうしゅ
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 
のうじょいっさいく   しんじつふこ   こせつはんにゃ  はらみったしゅ
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 
そくせつしゅわっ  ぎゃてい   ぎゃてい   はらぎゃてい   はらそうぎゃてい
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 
ぼじそわか  はんにゃしん ぎょう
菩提薩婆訶 般若心経 

般若心経の意味
『観音さまは深い智慧に至る修業をし、この世界をなす五つの要素に実体はないと知り、苦を離れ、悟りを得られたのだ』
舎利子よ
『姿あるものは常に移り変わる。移り変わり、姿を変えるのが我々が生きる世界の本当のあり方だから、目に映り、感じ、想い、行い、知り得たと思うことに、実体はない』
舎利子よ(お釈迦様の弟子の名前)
『仏の目で見ればこの世は移り変わっているだけなのだ。生じているのではない、滅してもいない、汚れもせず、汚れを離れることもなく、増えも、減りもしない』
舎利子よ
『移り変わる世界で、自分が目にし、心に思い、行い、知ったと思うことも実は存在しない。
眼や、耳、鼻、舌、身体、心に映るもの、ものの姿、声、香り、味わい、触り心地、ここちよさも移ろうだけのものである。
眼にうつり、意識されるものに実体は無く、迷い、悟り、老い、死、老いと死がなくなることも空そのものである。
苦も、苦の原因も、苦の消滅も、苦を抑える道も・・そして知ること、得ることすら実は存在しない。移ろうものを捉えられないように。
観音さまは、般若波羅蜜多によって心を安んじていて、自分と他者を区別することもない。その状態に安住しているから、何に対する恐れもない。
顛倒した心を遠く離れて、永遠の安らぎに入っているのだ。過去・現在・未来の三世の中でこの真理に目覚める人々は、永遠の安らぎを与える”般若波羅蜜多”の智恵により、この上ない悟りの状態に入るのだ。
その般若の智慧は大いなる真言である。大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言であり、すべての苦しみを取り除く。般若波羅蜜多の呪文なのだ』
真言は次のように説かれている
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
【仏の世界へ渡らん。渡らん。悟りの岸へ全く渡らん。無上の悟りにはいり、安らぎを成就させたまえ】


とても深い意味のある言葉なのだろうと思う。

これをどう受け取るかは

各人に任されている。

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