ぼくは瀬戸内海の小さな島で育った。小さいといっても地域ごとに二つの小学校があったくらいだか
らそれほどの小島ではないが。ぼくが通っていたのは、二つの小学校でも小さい方の小学校だっ
た。その頃で全校児童が百人を少し越えるくらいの学校だった。
ぼくは夏休みが大好きだった。もっとも夏休みが嫌いな小学生はほとんどいないと思うが。
ぼくの夏休みは朝のラジオ体操から始まった。ラジオ体操は地域の神社の広場で行われていた
が、体操なんかよりも朝、土の穴から出てくるセミの幼虫を見つけるのが楽しみだった。あの頃のぼ
くの夏休みは虫採りと、海水浴の二つで成り立っていたように思う。
それはぼくが五年生か、六年生の夏休みだった。ぼくの小学校にはプールなんてものはなく島の子
どもは夏休みの間中海で泳いだ。海には干満があるので泳ぐ時間が毎日少しずつ変わっていく。そ
の日の満潮の時間がぼくたちの海水浴の時間だった。だから朝の10時から泳ぐこともあったし、昼
の3時過ぎに泳ぐこともあった。泳ぐ時間になると小学生の保護者が二人ずつ監視にきてくれた。保
護者の作ってくれた海の中の飛び込み台の周りで僕たちの二時間は十分に楽しかった。泳ぎ方な
ど誰からも習うわけではないが、塩からい海の水を飲みながら、平泳ぎも、水に潜ることも、飛び込
みも自然に覚えていったのである。畑で取れたトマトやまっかうりを持って行き、休憩時間に食べる
ことも自由だった。あのころ島には堤防がなかったから大潮で水位が高い時には道から走って飛び
込むこともできた。海の底は浅いところは牡蠣のついた石ころで深いところになると、ぼくたちが「た
べ」とか「だべつ」と読んでいた粘土質の臭い砂地になる。水中メガネをかけて潜ると魚の群れが泳
いでいる。僕たちが泳いでいた海はそんなところだった。
その日も友だちとはしゃぎなから泳いだり、潜ったりしていたわけだか、ぼくが泳いでいた目の前に
浮き袋で泳いでいる幼稚園か小学校の一年生くらいの女の子がいた。その子がどうした拍子にか
浮き袋からすっぼり抜けて水の中に沈んでいったのだ。一瞬の出来事だった。ぼくはびっくりして、
あわててすぐに水の中に潜り女の子を浮き袋の中に入れ直した。ほんとに一瞬のことだったので周
りのみんなは何も気づかなかった。何もなかったかのように水遊びは続きぼくも何も言わないまま
だった。もし、あの時ぼくの目の前で浮き袋から抜けていかなければ全く気づかないままあの女の
子は水の底に沈んだままで、後からいないことに気づいて大騒ぎになったことだろう。その夏の海水
浴はその日限りになったかもしれない。
そうはならずに平和な夏休みはそれからも続いたわけである。
ぼくが助けた女の子は島の子ではなかった。夏休みに親戚のうちにきた子らしかった。今ごろはい
いお母さんになっているかもしれない。子どもも何人かいるかもしれない。あの一瞬があの子の運命
を決めたといってもいいかもしれない。名前も知らないその子とぼくの糸が一瞬交わってまた離れた
あの夏の日の出来事である。
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