2011年4月8日金曜日

愚民の恐怖

テレビ画面の中で解説を提供している学者や、一部雑誌ジャーナリズムで原稿を書いている専門家は、「風評」に踊らされる庶民を露骨に軽蔑している。彼等の主張するところに従えば、庶民の間に広がっている「根拠のない不安」や「科学的でない恐怖」は、「愚かさ」のあらわれ以外のナニモノでもない。であるから、風評は速やかに根絶しなければならない。ある場合には風評を盲信する愚民もろともに。

 一見、マトモな立論に聞こえる。
 でも、彼等は、「恐怖」ということに関してあまりにも無頓着だと思う。
 科学者は、「恐怖」を「無知」の一症状ぐらいに考えている。
 正しい知識を持てば「恐怖」は消失する、と、彼等は本気でそう思っている。

 でも、原子力のような「何が正しい情報であるのか(少なくとも素人の目から見て)が、確定していない分野」では、そもそも「正しい知識」など把握しようがないし、でなくても、目の前で議論が紛糾しているタイプの学説や、解説する人間の立ち位置によって意味付けが180度変わってしまうデータをもとに、安心立命を得ることは、少なくとも理系の学部なりで専門的な訓練を受けたわけでもない一般の人間には不可能な仕事だ。とすれば、特に科学に明るくない者としては、とりあえず大きめの安全係数を確保した上で、過剰にこわがっておくのが精一杯の知恵ということになる。これは、決して「愚かさ」と決めつけてほしい態度ではない。
(中略)
「風評」が「科学的でない」と、いくら吠えたところでどうにもならない。「評価」というのは、多かれ少なかれ、感覚的なものだからだ。その感覚の根本が放射線に汚染されてしまった以上、影響をくつがえすのは容易なことではない。半減期がどれほど先になるのか、見当もつかない。

この「風評」の半減期はどのくらい?小田嶋 隆より抜粋


風評被害を愚民の恐怖と決めつけるのは、

フェアではない。

その恐怖はやはり根拠がないだけに

根が深いのだ。

「特に科学に明るくない者としては、

とりあえず大きめの安全係数を確保した上で、

過剰にこわがっておくのが精一杯の知恵ということになる。」

ということは当然なのだ。




テレビ番組とその出演者、制作サイド、局を批判した本でオダジマ氏特有の

軽妙な視点がおもしろい、おすすめ。

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