2011年3月10日木曜日

だれにも平等な死

ニュージーランドの地震による死者の報道が入るたびに

人の死について考えてしまう。

希望を持ってニュージーランドへ留学して、まさか

自分が死ぬことになるとは、前の日にだれも考えなかっただろう。

それでも,いつかはみんなやってくる死。

ぼくもやがて死ぬだろう。

百年後には今生きている人間のほとんどがいなくなるだろう。

死は生きているから存在する。

今の生をどこまで続け、どのように生きるのか。

自分の死に際に、いい人生だった、よかったなと言って死ねるだろうか。

こればっかりはわからないな。

でもどんな形であれ必ずやってくる死を

見据えながら生きていけるかどうか。

その覚悟が今はまだない。

未練たらたらだろう。

「もし、世界の終わりが明日だとしても、ぼくは今日、林檎の種を蒔くだろう。」

そんな気持ちになれるものなのかな。

そういう生き方をしなさいということかな。



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